NISTEP注目科学技術 - 2023_W162

概要
量子計測・モデル化と、自由エネルギー原理をもちいた、ヒトの意識階層と創造性の解明

ヒトの脳の深部においてで非侵襲的に、特定の神経伝達物質の作用の様子を、分子単位かつリアルタイムに可視化する。量子もつれ等を用いたセンシング技術と、AIによる判別技術を用いる。それにもとづき、脳内で行われているとされる量子計算のありさまを明らかにする。さらに、特定の経路の接続が阻害されている際に、周囲の神経ネットワークにどのような影響がもたらされるかをマクロスケールで検討する。
脳における知覚や運動制御は、トップダウンな予測を、身体内外からの情報のインプットとの誤差を最小化するように自己キャリブレーションしていくシステムによって維持されていると考えられている(「自由エネルギー原理」)。自己同一性の知覚もこのシステムによって制御されている。その中での情報処理のずれが、各種の神経発達症の原因となると同時に、定型発達者には見られない卓越した知覚や情報処理能力をもたらすサヴァン/ギフテッドの要因にもなっていると想定される。
前述の高精度脳機能イメージング技術により、これらの認知の特異性が生じるしくみを明らかにする。それにより、ヒトの創造性の起源や、意識の諸段階、個人の意識の独自性や現象への意味づけについて、計算論的に記述することを目指す。
これらにより、ヒト脳の人工知能との違いを明らかにし、人工脳の生成に向けた知見が得られることが期待される。
キーワード
量子計測(量子もつれ) / 自由エネルギー原理 / リアルタイムイメージング / 神経発達症 / ギフテッド教育
ID 2023_W162
調査回 2023
注目/兆し 兆し
所属機関 公的機関
専門分野 ライフサイエンス
専門度
実現時期 -
分析データ 推定科研費審査区分(中区分) 61 (人間情報学)
分析データ クラスタ 33 (脳科学・心理学・認知科学)
研究段階
非侵襲的な量子脳センサーとしては、ルビジウム原子(サセックス大学等)、ダイヤモンドNVセンサー(東京工業大学)を常温で動作する磁場センサーとして、生活環境における脳表面の脳磁を、高い空間および時間解像度で示すことに成功している。
神経伝達物質の脳内のマクロな分布状況は、従来のPET(マーカーの作成により、多様な物質に対応可能)やMRI(グルタミン酸、GABA)で計測することができるが、リアルタイムであるとはいいがたい。生きた組織内での主要神経伝達物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン)の高速単分子識別は、量子計測と機械学習の組み合わせにより可能になっている(大阪大学産業科学研究所;Komoto et al. (2020). Scientific Reports)。しかし現状では、生体より取り出した脳切片において、ナノ電極間の間隙を流れる分子を判別する、という方法を用いており、生体内でのリアルタイム観測からは隔たりがある。

これに対し、量子もつれ光子対を用いたイメージング方法では、生体内における分子間相互作用を可視化する手法が開発されている。これがヒトの脳深部における、分子の個別動態の分析に発展していくことが期待される(学術変革領域研究(B):量子もつれ光子対における原子核-多分子間相互作用プローブを活用した診断治療学の創成)。
脳が行っている量子計算と生体機能との対応については、従来の核磁気共鳴測定方法では量子もつれによる量子相関を検出することができないと考えられる。しかし、量子相関を極限までゼロに近づける操作によって、脳の全体にわたる心拍誘発電位と類似する信号を抽出することができた。この電位信号は覚醒度と対応しており、ヒトの意識をもたらす脳内の情報処理が、量子的力学的なプロセスを経ていることを示唆した(Kerskens et al., (2022). Journal of Physics Communications)。

自由エネルギー原理を用いた、神経伝達物質の信号制御と予測に関する実証研究は、ドーパミンの受容体での作用と注意制御に関するものにほぼ限局されている。これを広い神経伝達物質の活動記述に拡張すること、およびいろいろな計算モデルに簡易に利用できるライブラリの整備が期待される。
インパクト
ヒトの意識や独自性の起源はどこにあるのかを解明し、人工脳や人工意識をシミュレートする上で本質的な知見をもたらす。現代科学の方法論をもとに、個の主観的経験を重視する人文科学の知に裏付けを与える。
古典的統計理論の限界に対して、多面的・多要素の説明変数が存在する現象を統計的に評価する方法を提案する。個人にとって主観的意味のある現象(シャノンサプライズ/ベイズサプライズ)と、外部から観察される事象(客観的な再現可能性)の統計的評価との対応付けについて包括的な理解を得る。
AI時代におけるヒトの独自性と知力の担保、および神経学的不調に対する補完方法として、脳の中に電極を埋め込んで神経修飾を行う侵襲的な方法(Neuralink等)と、ニューロフィードバックを用いて自己トレーニングをする方法、さらに精神展開薬(サイケデリックス)を用いて知覚と認知の枠組みを再編する方法、が検討されている。侵襲的な方法に関しては、長期的な安全性を現時点で評価することができず、また健康な人に対する介入として行うことには社会的な合意を得ることが難しい。ニューロフィードバックも、設備・機器の利用や継続性には課題がある。精神展開薬を用いた知覚及び主観的認知パターンの変容は、さまざまな文化において古代から行われてきた、インスピレーションを取得する方法と共通性がある。
さまざまな文化における神話や、臨死体験、明晰夢、解離症状における体外離脱経験において、顕著な共通性は見られるものの、細部は文化的文脈によって異なる。これらは、類似の神経学的体験をしているものの、身体内外からの感覚入力が遮断されていることによって、現実世界とのキャリブレーションができないことを、内的なモデルによって補完して知覚した結果として理解することができる。
このような半覚醒の意識状態を通じてインスピレーションを取得することは、人間の知的創造性を拡大する上で鍵となると期待される。その発生機序や内的モデルの生成過程について理解することは、一般の人々の創造性トレーニング手法の検討に役立つのみならず、神経発達症に対する効果的な生活習慣や認知トレーニング方法の開発、効果的なギフテッド教育法の確立に資する。また、民俗学的、宗教的な知見や伝統的な生活習慣の有効性について、評価し直すツールを提供する。
必要な要素
ミクロ・マクロの脳機能計測の基幹技術を開発する、生物物理や生化学を専門とする研究者同士で十分なコラボレーション体制をととのえるのみならず、心理学、神経科学、人類学、民俗学、宗教学、文学など文理や分野を横断した知を集結することにより、効率よく目的を達成することができると期待される。異なる分野では同じ現象を異なる用語で定義し、古くからの知見を持っていることが多いからである。
また、異常な知覚体験をしている当事者から、十分にヒアリングを重ねることが有効である。「健常な」先入観のもとで構築されたカテゴリーから離れて、当事者の認識にそった物事の記述方法が考えられないか検討する必要がある。
神経発達症や精神疾患の従来の命名カテゴリーは、連続的に存在する生物学的な発生機序と必ずしも対応したものではない。計算論的神経科学の知見と、実用上の必要性に応じて、柔軟に着目する事象をとらえて分析することが望ましい。