NISTEP注目科学技術 - 2023_E508

概要
私の専門の植物生殖学からは、植物の体細胞から配偶子を作る技術を挙げます。植物はあらゆる細胞が分化全能性を持つことから、幹細胞から別の器官の細胞を作るという研究は動物と比べるとあまり活発に行われていません。とりわけ、半数体細胞の配偶子については種子形成の元となる重要な役割を持つにも関わらず、体細胞から一足飛びに配偶子の分化誘導させるような技術は未だ確立されていません。しかしながら、雄性配偶子である精細胞、及び、雌性配偶子である卵細胞や中央細胞で発現する遺伝子や、それぞれのエピゲノム情報については徐々に蓄積されつつある状況です。今後の分野の盛り上がり方には依存するでしょうが、いずれかはカルスや、葉、根などの細胞を配偶子へと転換する技術的な障壁の打破が起こると考えています。
キーワード
被子植物 / 卵細胞 / 精細胞 / 配偶子
ID 2023_E508
調査回 2023
注目/兆し 注目
所属機関 大学
専門分野 ライフサイエンス
専門度
実現時期 5年以降10年未満
分析データ 推定科研費審査区分(中区分) 44 (細胞レベルから個体レベルの生物学)
分析データ クラスタ 41 (発生・分化・幹細胞)
研究段階
シロイヌナズナのカルスに対して、卵細胞特異的な転写因子を発現させることで、いくつかの卵細胞特異的遺伝子を発現させることに成功している研究があります。また、精細胞についても同様の研究が存在します。幹細胞の維持や分化誘導に関する方法論については、動物における生殖細胞を対象とした研究と変わらないはずです。しかし、体細胞での遺伝子異所発現のみで受精能や胚発生能が獲得されたという報告はありません。
インパクト
有用なゲノムセットを持つ植物を生み出すためには、古典的には花を咲かせて交配する過程が必要です。そのため、新品種の開発は年単位の時間を使って初めて実現できる仕事です。ところが、体細胞から配偶子を形成することができれば、花を咲かせることなく、迅速に様々なゲノムセットをもつ胚を得ることができ、新品種の開発速度の向上に貢献できるでしょう。
また、被子植物の受精は雌しべの奥深くで起きている現象であるため、どのようなメカニズムによって進行するのか解析が技術的に困難といえます。人工的に精細胞や卵細胞を試験管内で得ることができれば、受精の分子機構を解明する基礎研究においても大きなインパクトを与えると予想されます。
必要な要素
植物では様々な組織から胚形成を誘導することが可能であるため、クローン胚をもつ人工種子の作製の研究がかつては行われていました。しかし、現在の胚発生学は、組織培養を主体としたバイオテクノロジーの研究よりも、発生中に起きている遺伝子発現の変化を明らかにする遺伝学や発生学が主流となっています。動物の研究を例に配偶子の分化誘導について考えると、細胞の培養や分取の技術だけでなく、遺伝子解析技術やイメージング技術など、多くの先端技術が詰め込まれていることがわかります。仮に、植物の体細胞から配偶子をつくるタイプの学問が発生するのだとしても、それは1人の研究者が派生テーマとして手がける規模の研究ではなく、多様な背景をもつ植物研究者の協力で実現するものと考えています。