NISTEP注目科学技術 - 2023_E369

概要
世界的にみて、最重要な社会的課題はSDGsの実現と言える。したがってこれを後押しする研究開発は、今後の実現の期待と有用性が見込まれる重要な研究課題と言ってよい。
 生物のもつ優れた機能性や素材の中には、SDGsの実現を大きく後押しするが、未だ現在の科学技術では再構築できないものが数多く含まれている。これらの人工的再構築は今後の実現に向けた大きな期待とともに、科学における長年の目標の一つと言える。それらのうち回答者が専門とする分野からは、超高感度分子センシングが重要課題として挙げられる。この分野はすでにJST戦略目標など、様々な事業ですでに対象となっているが課題達成には程遠いのが現状である。その理由としてデバイス開発が中心であり、超高感度センシングの原理探求という基礎分野からの原理解明が進行せず、科学的に空洞化が生じてしまったことが挙げられる。動物の嗅覚に代表されるような超高感度分子センシングには、単なる分子間相互作用だけでなく、分子夾雑や量子化学的相互作用など様々な研究分野にまたがる課題が関与することが示されつつある。この基礎的課題に対し、量子化学や分子夾雑に関する研究課題が採択されるようになり、今後、原理解明が進展することが期待される。
 今後の原理解明により、超感受性を実現する分子とその分子機構が明らかにされれば、超高感度分子センサーの研究加速と実現が大いに期待されるだろう。
キーワード
バイオセンシング / 分子生理 / 分子夾雑 / 量子化学
ID 2023_E369
調査回 2023
注目/兆し 注目
所属機関 大学
専門分野 ライフサイエンス
専門度
実現時期 10年以降
分析データ 推定科研費審査区分(中区分) 32 (物理化学、機能物性化学)
分析データ クラスタ 6 (分子生物学/診断・治療)
研究段階
前述のように超高感度分子センシングの原理は、ほとんど解明されていないと言ってよい。一般的には高感度の実現にはセンサー素子を増やすことが有効であるため、例えばイヌの鼻が匂いに敏感なのは、鼻が大きく発達しているから、という誤った情報が専門家の中ですら広まっている。より具体的な分子メカニズムの解明として、超感受性に関与するとされる分子が以前から報告されてきたが、それらはほとんど全て期待される機能を持たず、センサーの性能向上には貢献しなかった。一方で回答者が現在解析している物質は、これらの問題を解決できる機能を持ちうることが示唆されているが、その分子機構は未解明である。また関連分子の遺伝子改変動物の作製も困難であるため、研究室での原理解明にはまだまだ時間がかかる。なぜイヌの鼻が敏感なのか、その答えを得るには10年以上要すると言ってよい。
 社会実装の面では古くから動物の嗅覚が社会の様々な場面で利用され、現在も飼育の簡便な微生物や無脊椎動物を用いた化学センサーの開発が続けられている。しかしながら使用する現場からは極めて動作時間の短い、これらの生きた細胞に依存したセンサーでなく、機能性分子のみから再構築した無細胞センサーの開発が望まれる。だが現在はまだ培養細胞を用いたセンサーは開発されておらず、無細胞センサーにおいては昆虫の嗅覚受容体を用いたデバイスの研究開発が進められている。昆虫の嗅覚受容体はそれ自体がセンサー分子としての優れた機能性を持っているため、その利用はデバイス開発の面からは大きな利点がある。一方でより普遍的なバイオセンサーとして、脊椎動物のセンサーを利用する試みは、その応答をリアルタイムで計測する技術開発が遅れているため、実現には程遠いのが現状である。
インパクト
超高感度分子センサーの実現で生じるもっとも大きな社会的効果は、超早期疾病診断の実現である。悪性新生物、感染症、精神疾患など、様々な疾病は代謝を変化させ疾病特有の分子マーカーを血液、呼気や体臭などを介して体外へ放出する。これらの分子を特定し、その分子と特異的に結合できるセンサータンパク質を開発できれば、超早期疾病診断が飛躍的に向上するだろう。
 またデバイスの簡便化により例えば、体温計や血圧計などのように日常生活に組み込まれれば、QOLを改善するツールの一つとした商品開発に応用できることも見込まれる。このようなデバイスをロボットに組み込めば、災害利用への期待も高まるだろう。
 センサーの社会的効果はセンサーの実現そのものよりも、その応用研究の発展からさまざまな可能性が生じることが注目される。
必要な要素
上述のように、研究課題の実現には時間がかかる。しかし研究課題に取り組む人材は任期付きであり、大学や研究機関などで長期の雇用が保証されておらず、課題達成の前に研究期間が終了し、投資した研究費が無駄になる。雇用の長期的な保証が課題実現に最も重要であり、そのための財政法改正などにも取り組まねばならない。